能代簡易裁判所 昭和40年(ろ)12号 判決 1965年10月07日
被告人 坂田徹雄
大一一・三・二四生 司法書士
主文
被告人は無罪。
理由
一 本件公訴事実は、「被告人は、昭和四〇年一月二〇日午後四時五五分頃、秋田県公安委員会が道路標識によつて一方通行とした場所である秋田市保戸野表鉄砲町七九番地附近道路において、前方の道路標識の表示に注意し、一方通行の場所でないことを確認して運転すべき義務を怠り、同所が一方通行の場所であることに気づかないで、その出口方向から入口方向に向い普通乗用自動車を運転通行したものである。」というにある。被告人が、公訴事実記載の日時に、秋田県公安委員会が道路標識によつて一方通行として指定した場所である秋田市保戸野表鉄砲町三八(表鉄砲町十字路)から同市新大工町二一(旧大工町交番所附近)までの道路(その後、同委員会昭和四〇年告示第五一号により解除)において、その出口附近に設置されていた道路標識を見落したため、前記の場所が一方通行の場所であることに気づかないで、その出口方向から入口方向に向い普通乗用自動車を運転通行した事実は、被告人の当公判廷における供述、証人佐々木久次郎尋問調書、秋田県公安委員会昭和三九年告示第一六号により認めることができる。
二 ところで被告人は次のように主張する。
(一) 本件一方通行の場所の出口に存在した道路標識は、
(イ) 大工町方面から通行するばあい、道路が左にカーブした前方に設置されているため位置が悪いこと
(ロ) 進入を禁止されている表鉄砲町の道路が、一方通行とされているかもしれないと注意しなければならない程の狭い道路ではないこと
(ハ) このような場所であるのに、大工町には進路前方に一方通行の規制が行われていることを警告する「規制予告」標識がないこと
により一般の自動車運転者にとつて見やすいように設置されているとはいえず、本件場所に違反者が多いことによつても見やすくないことは明らかであつて、これに気づかないで通行したとしても自動車運転者に過失があるとはいえない。
(二) 右主張が理由がないとしても、本件当時の天候、道路および交通等の状況と自分の行動は次のとおりであつて、このような状況において本件一方通行の出口附近に通りかかつて道路標識を見落して通行したのであるから過失があるとはいえない。
(イ) 本件一方通行の場所を通行したのは、日没後の午後四時五五分頃であつて、みぞれが降つており、周囲はヘツドライトをつけなければならないほど暗くなつていた。
(ロ) 本件当時、大工町から下米町との交差点を経て左に折れ、表鉄砲町に至る間の道路は、現在のように直進できる状況になく、残雪が道路中央部分にもあり、通行できる部分は、鍵の手に近いように左に届曲していた(別紙図面点線の部分)ので、左折後更に左に迂回しながら道路南側に沿つて通行し(別紙図面矢印)、その後電話ボツクスの手前附近で右にハンドルを切り直したが、その際前方約二〇乃至二五メートルの表鉄砲町方面からダンプカー数台が対向してくるのを認めたため、自車のヘツドライトを減光して下向きにし、対向車とすれ違うため、特に左前方附近路上を注視しながら進行し、本件道路標識の附近で対向車の一台目とすれ違い、そのまま標識に気づかないで通行した。
三 そこでまず、被告人主張(一)の点について検討すると、当裁判所の検証調書、被告人の当公判廷における供述、証人佐々木久次郎尋問調書、証人菅原広の当公判廷における供述によれば、本件一方通行出口附近の道路の形状等は別紙図面のとおりであつて、本件当時別紙図面<B>点の附近に「一方通行(自転車を除く)」、「車輛進入禁止(自転車を除く)」の各規制標識がいずれも北東(<A>点附近の方向)に向け並んで設置されていたこと(その後撤去)、大工町から進行するばあいは、道路は下米町との交差点附近(別紙図面<A>地点附近を指す)から左折し、約五〇メートルを経て、前記二個の道路標識(以下両標識を本件道路標識と称する)の設置してある附近(別紙図面<B>地点附近を指す)から右折するS字型のカーブであること、本件道路標識は、前記<A>地点附近までは、道路左側の人家が障がいとなつてこれを見とおすことができないが、<A>地点附近を過ぎて左折すれば前方約五〇メートルにこれを見とおすことができるようになり、その間には見とおしの障がいとなる建造物等は存在しないこと、また、左折後前記<B>地点附近に向つて別紙図面<A>――<B>間の実線(==を指す)部分内を進行するとすれば(本件当時進行可能であつたか否かは被告人主張の(二)点に関して検討する)、その間は道路標識が進路前方ほぼ正面に位置することになること、前記<A>地点を過ぎ左折する附近から本件道路標識を見ると、標識後方のパーマ店の窓ガラスに塗られたペンキ白地に赤と緑の文字等により幾分見づらい感じがすること、この附近の道路は、公安委員会により最高速度が三〇キロメートル毎時と指定されていること、以上の事実が認められる。
右事実によると本件道路標識は、大工町から通行するばあい、その設置地点の手前で道路がカーブしていること、したがつてまた、これを認識しうる距離が短いこと、背景との関係上多少見づらいことがあつて、直線道路上の道路標識のように僅かな注意で容易にその存在を認識しうるばあいに比すればその存在に気づき難いということはできる。しかし、このようなカーブの道路を通行するに際しては、直線道路を通行する以上の注意が要求されることは明らかであり(そうかといつて特に前方注視に高度の緊張を要するわけでもない)、またこの附近は時速三〇キロメートル以下の指定速度に減速して通行すべきことを要求されているのであるから、これらの義務を前提として判断すると、本件道路標識は、これを認識するに障がいとなる特別の状況が存しない限り、通常のばあいには容易に認識しうるものと認められる。もつとも、前掲各証拠および証人古谷銀治郎の当公判廷における供述によれば、被告人が(一)点の主張の理由とする(ロ)(ハ)の各事実や本件現場の一方通行違反件数が多いことを認めうるが、これらの事実のみをもつてしては前記判断を覆がすには至らない。したがつて、被告人主張の(一)点は採ることができない。
四 そこで次に被告人主張の(二)点に関して検討する。
(一) まず(イ)については、証人佐々木久次郎尋問調書、被告人の当公判廷における供述、秋田地方気象台長作成の回答書によれば、被告人が本件一方通行の場所を通行したのは、午後四時五五分頃であるが、その出口附近を通りかかつたのは、その直前であつて、日没後一〇分近く経過し、弱い俄雪が降つていたので、周囲は薄暗くなつており、そのため被告人は、自車の前照燈を点燈していたことを認めることができる。
このような状況のばあいに、本件道路標識を容易に認識しえたか否かについて、検察官は、本件標識のある附近は街燈および商店等の照明で明るい場所、しかも日没後僅か一〇分後の薄暮の状態であつたから、これを認識するのは容易であつたし、前照燈を減光したとしても、本件標識には夜光塗料が用いられていたから容易に認識しうると主張する。しかし、本件当時は冬期で降雪中のことであるから日没後間もないとはいえ、前照燈をつけなければ自動車運転に支障がある程度に薄暗くなつていたものと認められる。そうして、(イ)本件道路標識に、昭和三五年総理府建設省令第三号道路標識、区画線及び道路標示に関する命令別表第二備考四の(二)で定められている反射材料を用い、または反射装置もしくは夜間照明装置を施してあつたかについて、これを認めるに足る証拠がなく、証人古谷銀治郎は車輛進入禁止標識のみは光つているのを見た記憶がある旨証言するが、かえつて本件道路標識の設置、管理等の担当者である証人菅原広の当公判廷における供述によれば、反射材料等の使用施設はなかつたのではないかと疑われるのであり、(ロ)附近の街燈や商店の燈火等により明るい場所であつたかについては、証拠上明らかではなく当裁判所の検証調書によれば、本件「車輛進入禁止」標識の西方一一・六メートルの道路南側にある電柱の高さ約六メートルの個所に街燈があるが、それは本件各標識の標示板の後方に位置していること、また道路北側の人家は、標識より約一六メートル離れていることが認められ、いずれもその燈火が本件道路標識の照明に役立つとは思われないし、証人菅原広の当公判廷における供述および当裁判所の検証調書により認められる本件道路標識附近の状況よりみるときは、結局道路標識の南のパーマ店が電燈をつけていたならばその位置は標識の設置されている角度から見れば後方になるが、標識には一番近いから或いは標識の周囲が明るいであろうと推認されるに過ぎない。以上のような状況であるから、反射材料等の使用、施設があつたと認められるならば格別その存在が認められない本件道路標識は、先に認定した附近の地形をも考慮すると、日没後視界不良の際に通行する自動車運転者に対して、果して容易に認識されうるように、設置されていたといえるか疑問である。しかし自動車の前照燈により直接照射してこれを認識しうることもあると思われるので、被告人の進行した経路に従つて個々の状況と合せて判断することとする。
(二) 次に(ロ)について、まず本件当時の道路の状況を検討してみると、証人佐々木久次郎尋問調書、被告人の当公判廷における供述、当裁判所の検証調書によれば、前記<A>地点附近から<B>地点附近に至る間の道路で、この間をほぼ直線的に進行できる部分(別紙図面実線の部分)は、道路がいたみ凹凸が多かつたこと、(本件後舗装されたものと認められる)、電話ボツクス北方附近に残雪があつたこと(別紙図面の部分)により車輛等はその部分を通行しておらず(残雪があつたのは車輛等が通行していなかつたためと推認される)、この間で車輛等が通行していたのは、概ね被告人が指示するような別紙図面点線部分であつたと認められる。以上のような状況であつたとすれば、被告人が左折後その指示するように左に屈曲して進行したことはやむを得ないところであると認められる。そうして前掲各証拠によれば、被告人は、大工町から<A>地点附近を過ぎて左折した後、前記のような道路の状態を認めたため、道路左側部分に沿つて左にカーブしながら進んだものであること、その進行経路はおおよそは被告人の主張する別紙図面矢印のようであること、<A>地点附近から一五、六メートルの間は、正面は見とおしうるが、左側に人家があるため左にカーブする前方は地形上見とおしが困難であること、被告人は左折後左前方を特に注視しながら進行したこと、電話ボツクスのある手前の地点附近からハンドルを右に切り直して表鉄砲町に直進したものであること、電話ボツクスのある附近でハンドルを右に切り直し終つた際、ダンプカー数台が前方約二〇乃至二五メートルの表鉄砲町の舗装部分北側(向つて右側)にあつて、前照燈をつけ対向してくるのを認め、自車の前照燈を減光して下向きにし、これとすれ違うため、左前方路上を特に注視しながら進行し、本件道路標識のある地点附近で対向車の一台目とすれ違つたこと、前記のような経路で進行したばあい、本件道路標識は、左折地点から一五、六メートル位の間は進路前方のほぼ正面に位置するが、この地点から左にカーブするにしたがい進路前方右側に位置をかえることになり、次にハンドルを右に切り直すにともない進路前方正面から更には前方左側に位置をかえ、電話ボツクス附近からは前方道路左端に位置するようになるが、標識は北東<A>地点附近の方向に向けて設置されているから幾分斜めに見えるようになること、以上の事実を一応認めることができる。右のような事実が存在したとして、そのばあい本件道路標識を容易に認識し得たか否かを被告人の進行経路にしたがつて判断すると、
(イ) 前記左折地点から約一五、六メートルの間は、進路前方ほぼ正面に道路標識が位置するけれども、左折地点附近ではじめてこれを見とおしうるに至つたのであるから、左折直後にその認識を要求するのは無理であるし、道路の状況から前方に直進できないと認め徐々に左にカーブしなければならない状態であつたとすると、地形上、左前方附近の見とおしが困難なこともあつて、左前方の警戒を要するから被告人が、左前方を特に注視しながら進行し、その結果この間で本件道路標識に気づかなかつたとしても、やむをえないと認められる。かりに前記のような左前方への警戒注視を不要としても、標識附近を注視し得るのは、前記の状況から判断すると、一五、六メートルの距離のうち、左折直後や、更に左にカーブする直前を除けば、数メートルの間を通行する間のみであろうと推認されるのであり、前照燈で照射するとしても、降雪中であること、先に認定したようにこの地点附近からは標識後方のパーマ店の関係等で昼間でも多少見づらい感じがすることを考慮すると、反射材料等の使用、施設がない限り、本件道路標識が、一般の自動車運転者にとつて容易に認識できる状態にあつたとは考えられないから、この間で被告人に本件道路標識を認識すべきであつたということはできない。そうして前に述べたように、本件道路標識に反射材料等の使用、施設があつたとの証明はないのである。
(ロ) 次に電話ボツクスのある手前附近までは、道路標識が右前方に位置することになるが、このように左にカーブして進行している際に、右前方の道路標識を認識すべきことを要求するのが相当でないことはいうまでもない。
(ハ) 電話ボツクスの手前附近でハンドルを右に切り直した後は道路標識は前方道路左端に位置することになり、この地点附近から本件道路標識のある附近までの間は直進することになるが、この間で道路標識を容易に認識しえたか否かについて、検察官は、電話ボツクス附近で対向車を発見したとしても、道路の幅員が大であるから交差は容易であり、通常の前方注視をもつてすれば容易に標識を認識しうると主張する。しかし被告人は、電話ボツクス附近で、ダンプカー数台が前方二〇乃至二五メートル位の表鉄砲町の舗装部分北側(向つて右側)にあつて対向してくるのを認めたのであり、そのすれ違う附近の道路は、幅員は広いとしても舗装部分は五・六メートルと狭いのであるから、このようなばあいには、前方に道路標識があるか否かを注意すべき義務よりも、互に道路左側によけた上、接触事故を避けるべく注意して運転すべき義務が優先することは明らかであり、また、対向車のみに気をとられないで、前方路上を注視すべきであるといわなければならないから、単に通常の前方注視をもつて容易に認識しうるとは思われない。しかも電話ボツクス附近から本件道路標識附近までは約一二、三メートルと短いのであり、この間に対向車との接触を避けるよう注意し、また前方路上を注視すべきことを要求した上、前方道路左端の地上約一・五メートル以上(検証調書添付の写真によりこの程度と認められる)の位置にある道路標識の標示板を認識すべきことを要求するのは、一般の自動車運転者に過酷であると思われる。そうして、被告人が、対向車とすれ違うため進路前方左側路上を特に注視しながら道路左側を進行した結果、本件道路標識に気づく余裕がなかつたとしても無理がないところである。
なお、かりに、この間で標識の認識を要求すべきものとしても、被告人は対向車を認めて前照燈を減光して下向きにしたのであるから、このような条件の下では、本件道路標識に反射材料を用いる等の設備がないと、地上約一・五メートル以上にある標示板を容易に認識しうるとは認められないから、この点よりするも、この間で被告人に本件道路標識の認識を期待しうるとは認められない。
(三) 以上のように、被告人の進行経路によつて検討すると、いずれの地点においても本件道路標識を容易に認識しうるとは認められない。
かかる状況の際にも対処しようとすれば、規制標識の手前に規制予告標識を設置して警告し、標識自体には反射材料を用いるなどの措置が必要であつたと思われる。けだし、本件一方通行の規制のように、その出口から入口に通行する車輛に対し、その出口の一個所のみに規制標識を設置してその処分を行うばあいは、同じ道路標識による規制であつても、速度制限や駐車禁止などと異り、道路または交通の状況に応じて区間内に必要と認められる数の標識を設置して周知させるということはできないから、特にその出口の標識が見やすいように配慮されなければならないと考える。
五 以上種々検討したが、前記四のような具体的状況が存在したとする限り、一般の自動車運転者が本件道路標識を容易に認識しうるものであつたとは認められないから、本件被告人に対し公訴事実記載のような確認運転義務を課しえないものというべきである。なお、公安委員会が一方通行の処分を行うには、道路交通法九条二項、同法施行令七条一項により、一方通行を表示する道路標識を設置して行わなければその法的効力が生じないと解すべきことはもちろんであるが、単に道路標識を設置すれば足りるものではなく、道路交通法九条三項に基づく昭和三五年総理府建設省令第三号に定められた法定の道路標識を、道路交通法施行令七条三項に規定するように、車輛等がその前方から見やすいように、適法に設置されなければ、その処分は効力を生じないと解すれば、本件のように、天候、道路および交通等の具体的状況により、更には標識自体に反射材料が用いられていない等のために、道路標識が容易に認識しえない状況の下に通行した被告人に対しては、公安委員会の一方通行の処分そのものが有効ではなかつたということもできよう。
いずれにせよ、被告人が本件道路標識を見落した結果、本件場所が一方通行の場所であることに気づかないで、自動車を運転通行したとしても、その過失責任を問いえないものである。結局本件被告人の所為は、何ら罪とならないものであるから、刑事訴訟法三三六条により主文のとおり判決する。
(裁判官 横山文男)
別紙図面<省略>